皆々様方の御意見、興味深く拝読しております。
賛否両論があるのは当然ですよね。物には360度、見方がありますもの。
毛皮に関しては「良くない事と思うが、、」という意識が皆々様にあるのだと 感じました。私は自分の目で見、納得した事以外は 「~らしいよ」という表現に徹しようと思っております(情報もつたえ方一つで黒にも白にもなるのですのも)が、この度の御意見を読み、様々な方面の知識を得る事ができました。
この、「知っておく」という意味で 大変勉強になりました。とお伝えしたく書き込み致します。
No 31のないしょさん
あくまで今回は毛皮に止めたのみです。
どうしてそのように思われたのか分かりませんが環境破壊や、戦争、その他日本だけじゃなく世界が今直面している問題には私は興味があり、自分なりに多少ですが勉強させてもらってます。
今回たまたま毛皮という一面を取り上げたまでです。あまり
問題が広範囲に及ぶとあちこちに話は飛ぶし、結局効率が悪い
気がするからです。
そして毛皮についてはあまり日本のメディアも実際のところ取り上げないんです。だから実態を知らない人が多い。
No 29のないしょさんがおっしゃってる通り、人間の傲慢さなど
あげたらホントにキリがないです。確かに一番の方法は人間がいなくなることですが、現実的にほぼありえない話ですし、また今まで地球を痛めつけてきた分、人間には状況を打開しなければならない責任、義務があると思ってます。
スレ主さんて毛皮の事だけこんなに熱くなってるの?
世の中悲しい事は墓にもたくさんあるけど
悲しみって人間がこの世から居なくならなければ
私は消えないと思ってるんですけどねぇ。
何故毛皮だけにそんなに執着するのか
なんでもあって医療も進歩して、全てにおいて便利で快適。
次々とビルが建ち道路が増える。
でも環境は破壊され、もうゴミを捨てる所もない。
子供達が大人になる頃、地球はどうなってるだろう・・と、ふと思う事がある。
人間の傲慢さなんか挙げたらきりがない。
エアコンや無駄な電力消費、石油使いすぎでCO2が増加しまくりで
オゾン層はどんどん破壊され気温は毎年上昇している。
動物以外にも人間の罪は山ほどあるんだよ~。
いやだ!も~人間の強欲さに、もう!ホントいや!
いつか、しっぺ返しくるよね!
関係ないけど、ゴミとかもさー、燃えないゴミ作ってる人達の心理を伺いたいよ!
使ってるから、同罪なんだろうけど。
罪の意識でいっぱいだよ!
何度も申し訳ないですが、収拾がつかなくなる議論が大いに考えられますから、そのような事態を避けるべく、「食」に関することは控えていただけると嬉しいです。
>それと食べ物の問題とは少しずれますが・・・
そうです。だからこそここでは毛皮についての話に止めたかったんです。
そして「押し付けている」とか「ありがち」とかの言い方は控えていただけませんか?私は肉を食べる人々のことをとやかく言える立場にないですし、それは逆も然りです。
あくまでご自分がどう考えるかであり、それを正当化する必要はないと思います。攻撃と誤解されるような言い方は双方止めてください。
たしかに、ファッションのために狩をするのは良くないですね。
それと食べ物の問題とは少しずれますが・・・。
>>13, 16
私は植物も動物も両方食べます。
生き物たちが捧げてくれた命に感謝しつつ、ありがたく戴きます。
肉が人間に食べられずに廃棄されるよりは、食べて血や肉にしたほうが
まだマシではないでしょうか?
食べられないまま捨てられては、殺された動物たちは結局ムダ死にした
という事になりますね。
昔のアメリカ人は、くじらを殺して油だけ取って、後は食べずに
すべて捨てていました。そういう事例はどうなんでしょうね~。
ベジタリアン達が菜食主義を貫くのは個人の自由ですが、
他人に菜食主義を押しつけるのはやめてください。
No.16の内容はベジタリアンにありがちな言い訳ですね。
今はホントステキなフェイクファーも増えてきてますしね。
そしてno 23のないしょさん
>ベジタリアンの人がおっしゃってるみたいな、肉食したらもう心が無い、命を大事に思ってないみたいな言われ方
これはどこに書いてあったのでしょうか?
読み直しましたが・・・・・
私はこのような考え方は極力持たないようにしています。何を食べるか、それは文化、思想、生活習慣に大きく左右されるのであって、例えば韓国の方は犬を食べますが、だからといって「なんて心無い野蛮な人種だ」と思ってはならないと思うのです。ですから生きるのに肉が必要かどうかは生物学ではなく、自分の観念的なものに依存するのだと思います。生きる=文化的な生活を営むことです。文化は国単位でも、個人単位でも私は違うと思ってます。
こんな、答えにくいというか、論争を生みそうなスレにまじめにレスしてくださいまして本当にありがたいです。食べ物を粗末にしない、ファッションで動物を犠牲にするのはどうかと思う等の意見は私にとってとても貴重です。
無駄に動物を殺すのは確かに良くないですね。
人間がこんなに増えて、生物界の頂点に立っている以上、そのあたりの自重は大事だと思うし、残酷さもその重みも心得るべきだと思います。
ただ下でベジタリアンの人がおっしゃってるみたいな、肉食したらもう心が無い、命を大事に思ってないみたいな言われ方はちょっと違うなと思います…。
生き物を殺めることを嫌悪してベジタリアンになるも自由ですが、本来動物の命も植物の命も平等だと思います。植物を殺めるのに心が痛まないというのはあくまで人間側の都合と思想であって、自然界において捕食のために他の命を奪うことに違いは無いはずです。だから、食事の糧として命をとるのであれば、本人の心が痛むかどうかの違いはあるにしろ、自然の摂理としては軽重の違いは無いと思います。
私は肉も魚も食べます。手を合わせて、いただきます!と感謝して、命をいただくぶん頑張って生きようと思ってます。ベジタリアンの人のように、自分は何の命も奪っていない清らかで命を大事にする人間だ、と自分で思うことはできませんが、自分も食物連鎖の上に立つ動物で生き物である以上、生命維持のエネルギー取得に善悪の概念は持たなくていいやと割り切ってます。
娯楽や無駄に命を奪うのは私も反対です。
以前コートを店で手に取ったところ、「ウサギ13匹使ってるんですよ」と店員に言われ、買う気が失せました。
ただ、反対するにしても、「殺し方が残酷だから毛皮はだめ」というのはどうも納得がいきません。殺される側にとってみればどれほどの差なのかわからないし、残酷でない殺し方ならいいのか?という気がします。犬猫を保健所で殺すのは安楽死だから許される、みたいなのは人間側の勝手な気休めのはずですから。
単純に、「今はフリースとか色々いい素材もあるんだから、命を贅沢に消費して毛皮にするのはやめて、動物を保護しよう」のほうが納得しやすいです。
よくこの様な内容に対して食肉と混同される方がいますが、毛皮のために動物を殺すのと食料のために殺すのとではかなり違いがあると私は思いますよ。
食肉はタンパク質を取り入れるために仕方ないとしても、娯楽やファッションのために動物を殺すのはどうかと思いますね。
私もNo20さんが仰っている事に同感で食べ物を無駄に残したり、物を粗末にしたりしない様に気を付けています。
ハラコって、牛の赤ちゃんが母牛のお腹にいる時に
母子共に殺してとるんですよね。
それを知ってから、ハラコは持たなくなりました。
気が重くて。
普通の毛皮にしても、北極や南極に住んでいるわけじゃないので
必要ないといえばないですよね。
難しい問題だとは思いますけど、消費者側の意識というか節度があるかないかは、やっぱり大事ですよね。
毛皮がどうやって作られるか、よく知ってたら買わない人は増えると思います。
食べ物(菜食・肉食)の話まででているようですが、
身を飾るものと3大欲求のひとつとを、同じ土俵で論議するのはちょっと強引?なんて思いました。
極寒の地以外では、毛皮と食べる肉を同等に考えるのは難しい気がします。
いいんじゃないでしょうか。こういうところに意見を書くのも。
私は、ベジタリアンの食事については、ちょっと調べて一時期実行してみただけで、貫いてはいません。動物性のものを食べることは少ない方だと思いますが、時には、焼き肉屋さんなどに行くこともあります。でも、動物・植物にかかわらず、ものを食べる時は、それがすべて命なんだと思って、ありがたくいただいています。無駄に買ったり、粗末に扱うことはしないように心がけています。それは「知る」ことをしたからだと思います。
たしかに、ファーはかわいいですよね…。今年も流行っているようですし。私も、何年か前に、バーゲンでウサギの毛がついたジャケットを買ってしまったことがあります。今も、そのジャケットは大切に着ていますが、もし、これから新しく買うのなら、フェイクファーを選びたいです。
これはあくまでたとえ話ですが、飢えてるアフリカの子供を
救うとき、どうしますか?その事実を知っているものだけが集まって何か募金活動をするのですか?確かに一時的にはそれで救われる子はいるかもしれないけど、時間がたてば元の木阿弥です。事実を認識している人の数も増えてない。
まず、認識の輪を広めること、それが大事だと思ってます。
ここで、ダイエットの掲示板で毛皮の実態を知って欲しいと言っても即座の効果は得られないです。そんなことは最初から分かってますし、もちろんこのほかにも署名活動などを行ったり、政治部に手紙などを差し上げたこともあります。「でも何にもかわってないよね。」と思われる方、種をまきそれが大きくなるまでは長いんです。大きくするには最初に種をまかなければダメ。それがどんどん大きくなる。イギリスは最もベジタリアンの歴史が先進国の中で古いですが、そのイギリスでさえも今の現状にたどり着くまでにこれほど時間がかかったのです。
種がたくさんあればあるほどそれが大きくなったときに力を発揮するのなら、少ししかまいてないうちに無理に大きくしてもしょうがない。
4度目ですが、事実を広めることそれ自体に意味があるんです。少しでも広まればと思ってます。
どうにかなったのは実際に何かアクションを起こした人や
問題になった出来事なんかがあったからでは?
ここで何か言うよりも、本当にどうにかしたいのであれば
もっと専用のサイトに行って同じ事考えてる人とかを集めて
何かアクションでも起こした方が変わるのでは?
それともただ、どう思うか意見を聞きたかっただけなのでしょうか?
スレ主です。
これは毛皮について知って欲しいとの思いで立てたスレなんです。だから最初には敢えて「ベジタリアン」という言葉を出しませんでした。非ベジタリアンの人を非難するとかそんなつもりはないのですが、動物愛護でベジタリアンというといささか非ベジタリアンの人に不快な思いをさせてしまう場合もあります。そこから議論を感情のまましてもそれは双方にとって利益になりませんので、あまり動物愛護だからベジタリアンだ!と強調したくはないのです。
議論を泥沼化させようと思えばいくらでもできますが、そこから解決が生まれるわけはないですし、無意味な争いはしたくありません。
ですからあくまで毛皮の実態についてのみ、自分はこう思うとかおっしゃっていただけると嬉しいです。
何度も申し上げますが、知ると知らないとでは大違いです。知ったって何も変わらないという方もいますが、今より悪くなるよりずっといいと思いますし、何より変わりますよ。この50年間で毛皮に関する規制、法律等が世界でいくつできたかご存知ですか?
商品は消費者の声にものすごく反応するものです。
Q:植物にだって命がある。動物だけ食べないというのは、おかしいではないか。植物も動物も平等にすべきです。
A:植物にも生命があります。感情もあります。
愛情をかければそれなりに育ち、憎しみを込めて育てた花はすぐ枯れると言う報告もあります。
でもリンゴをもぐように、鶏の首をしめあげて殺せるでしょうか?
トマトをもぎとるように鳥を殺せるのかどうか。
稲を刈るように牛の首を刈るのかどうか。
芝生を踏むのと小鳥を踏むのは同じ行為かどうか。
本当に植物の命と動物の命が平等だとお感じになる方は迷わず肉食主義をつらぬかれてください。
植物はいくらでも犠牲にしていいわけね、ベジタリアン的にはw
無駄な犠牲が多すぎってことよ、要は。
だから無駄な肉もつくw