>生きるって事は何かを犠牲にする事
その通り!!
ただ人間は動物食わんでも生きてけるって。
こんなにベジ化が遅れてるのは日本だけだと思うが、
まぁそのうち鎖国と同じでだんだん和らぐだろ。
>11
右の同じ意見。結局生きると言うのは何か犠牲にし
迷惑かけてますよ。
なんか、スレ主さんはブリジット・バルドーみたい。
それと、ベジタリアンだって植物を殺して食べてますよ。
植物は動かないし声も出さないけど、ちゃんと生きてます!
その生きている者を、根を引っこ抜き実(カラダ)をもぎとり
食べているわけです。
動物も植物もみんな“生き物”です。
「動物を殺すのはダ残酷だからダメだけど、植物は全然OK!」
という考え方のほうが傲慢だと思いますけどね。
って言うか、生きるって事は何かを犠牲にする事だから
どうしようも無いのでは?生きてればお肉も食べるし
医療用の薬だってまずモルモットで実験して、それで完成したら
人間が使うし。人同士の関わりだって悪気が無くても何気ない傷つける事だってある。動物だって弱肉強食じゃん。
だいたい、ここで残虐な殺され方を知ったからと
いって世の中何も変わらないし何のメリットも無いと思うけど。
それでも嫌だと言うのなら毛皮が無くなるまで、自分が満足するまで
何かの活動だのすれば良いと思いますけど。
人間が一番残酷です。
必要以上に動物を殺し欲を満たしている。
そんなのはこの地上で人間だけです。
私は毛皮に限らず、コレクションの為に剥製にされる動物、実験の為に殺される動物、増えすぎた為に殺される動物、全部助けてあげたい。
でも到底無理な話だけど。
>スレ主さんはベジタリアンですか?
2年くらい前に健康の意味で無理ない程度にはじめました。
今年に入って大変勉強になるサイトを知ってできる限り動物食品から離れた生活を送っています。
私個人としては、多くの人にどれだけベジタリアンが素晴らしいか知ってもらいたいし実践して欲しいです。が、それは同時に現実的には非常に難しいことなんです。
肉を食べるな。と言われても食べてきたのが普通ですし、まして日本では一般的にベジタリアンが普及しているわけでもないですから。肩身が狭いのも現実です。
ただ、毛皮の実態を知るということは食肉産業の実態見て肉を喰うなというよりは、簡単なことだし実践してくださる人がもしかしたらいるかもしれないの思いでこのスレを立てたまでです。「知る」だけで大分違うのです。
確かに感傷的になることもありますが、もちろんそれだけでは何の解決にもならないことも知ってます。できる範囲でやれることのみをやっています。前は「こんなことをして何か意味があるだろうか?それほど犠牲は減るのかな?」と思ってた時期もありましたが、ある人に「そういって世界中のベジタリアンがベジタリアンを放棄したら現状はとんでもなく悪くなる。」と言われ、なるほどなぁと思ったものです。
All or Nothing じゃなくてBetter than Nothing
「全てを解決するか、しないか」ではなく「何もやらないよりやるだけまし」ということがあるベジサイトで書かれてます。
私はそう信じてます。
始まりは個体レベルの動物に情が湧くことから始まります。でもそれが社会とか群れのレベルでの動物に対する責任の改革までにいたることもあります。
感傷から何かが始まるのであれば感傷も素晴らしいと思います。
スレ主さんはベジタリアンですか?
毛皮も酷いですが、食肉用の牛・豚・鶏がどんなに残酷な殺され方をしているかもご存知ですか?
そしてそれを知ったら、お肉は食べなくなるのでしょうか?
むろん、魚の活け作りなんか無理ですよね。
文明が進化して、私たちは自分で狩りをしなくなりました。自分たちがどれだけの犠牲の上に命を繋いでいるのか自覚しにくくなりました。
ですからスレ主さんのおっしゃるようにそういった犠牲のことを知ることは良いことだろうとは思います。知らない人がぬけぬけと動物愛護を語るよりは、自分が無数の動物の死の上に立っていることを自覚した上であえて動物愛護を語る人の方がよほど覚悟も説得力もあると思うからです。
ただ私個人は、毛皮や食肉用の動物がどんな殺され方をしているか知っている上で、哀れだとか胸が痛むとか言うのは感傷だと思ってしまいます。結局自分はその上に生きている、動物ですから。無数の犠牲を知った上で、そのぶん腹をくくって生きていくしかないと思うんです。
ベジタリアンも動物愛護も文明が生んだ美しい博愛だと思うし否定もしませんが、それは文明圏だから言える贅沢な話だとも思います。ベジタリアンになって動物を殺さずに生きていけるのは文明圏だから。密林の真ん中に放り出されたら、人間だって命をつなぐために必死になるでしょう。
毛皮は生活必需品ではないという意見もあるかもしれませんが、毛皮を狩ることを生業にしている人からすればそれこそ命がけではないでしょうか。その人たちの命は毛皮用動物のそれより軽いものなのでしょうか。
ペットとして飼っている動物を可愛がるのにそれは矛盾だ、というのなら、保健所で毎日無数にガスで殺されてる犬猫はどうなるんでしょう。私は猫を可愛がって居ますが、保健所で殺される猫のことも知っていて非難はできません。非難するのであれば、その無数の犬猫に対して責任を負わなきゃいけませんが、とても無理だからです。個体レベルの動物に情がわくことと、社会とか群れのレベルでの動物に対する責任を同列に語ることは、情理的にも現実的にも無理だと思います。
スレ主さんの「事実を知ってもらいたい」姿勢には賛成です。知ったほうがいい。知って、もっと食料や毛皮を大切に思うべきだと思います。
ただそれで「殺される動物が哀れなのです」と言われても、それはそうだけど感傷だよと思ってしまうのも正直なところです…
No.5のないしょさん
ごもっともです。
私は生物が生物の上に立つという自然界の法則を人間は全然守れてない気がします。中国の現状について書かれた問題のサイトありますよね?(名前忘れた)あれ見て思いました。人間がメチャクチャなことやってるからあんな畸形が・・・BSB騒動や鳥インフルエンザについても元はといえば人間のせいですし・・・
もう少し賢くなりたいものです。
>その過程を知ることは消費者にとって重要であり、提供者には知らせる義務がある
これは毛皮などに限ったことでなくホントーーに重要ですよね。
悲惨な現実だと思います。
ただ それは ソレを望む社会風潮についてです。元来 毛皮は高級品です。階級社会意識の薄い日本では、誰もが同じものを持つことが平等で良いとされていることも この悲惨な現実を招いてる要因ではないでしょうか?
生物の上に生物が成り立つ自然界の法則に従うには、過不足が無いようにすることだと思います。取りすぎてもダメ、とらなさ過ぎてもダメ。適度という観念が重要だと思いました。
需要=供給であれば、何もこわれないハズなのですが。。
ただ、口に入り、身につけるものがどのようにして作られているのか、その過程を知ることは消費者にとって重要であり、提供者には知らせる義務があると思います。
>言ってもしょうがない
そんなことないと思います。
イギリスではあまりに多くの消費者が毛皮に反対したために毛皮に対する規制ができました。
イギリスをはじめとする欧米ではベジタリアンや動物愛護主義者が日本とは比べ物にならないほどいます。それは事実を知る機会を持つことができるからです。殆どの人が実際にどのように動物が扱われているか概念的に知るのではなく、自分の目を通して見れば、考え方が変わるはずです。
だからと言って自分の意見を押し付けるつもりはないです。動物愛護に関する考え方は個人差が激しく、我関せずの人からアンチベジタリアンの人もいます。この手の議論はたびたびすごいバトルになることもありますが、私はこのスレが荒れてほしくないのであまり感情的にならないように、話し合えたらいいと思ってます。ただ事実を知ってもらいだけなので。
No.2さんに同感です。
私は動物自体嫌いなので毛皮は持たないですけどね。
まあでも、ブタも牛も鶏も殺して食べてるわけだし。殺さずに食える肉はないし。
使ってる布団は羽毛だし、カシミアもアンゴラも好きだし、釣りもするし。食品に使われる染料は昆虫殺して取ってるものだし、畑に撒いてる肥料に使われてるチッソ・リンは牛や鶏の骨だし。
人間が文明的に生きるためには誰だって死体の上に立ってるようなもんですよ。言ってもしょうがない。犬も猫も飢えれば食料です。江戸時代だって猫を三味線にしてたって言うしさ。そんなもんでしょ。