No.16さんの言う通り、私は旦那へ父親を求めています。
父親は子供を絶対に放さない。愛情を注ぎます。
それを知らない私は子供を一心に愛する主人を見て
子供が羨ましいと思います。
きっと主人は同じ様に愛され育ったのだと思います。
(現に今でも主人の母はベタベタです)
私も同じ様に主人から愛情が欲しいって思います。
No.17のないしょさんと同じで自覚症状はあります。
主人にも伝えましたが
「俺はお前の親じゃないし育ってきた環境が真逆だから
お前が何をして欲しいのかも分からないから無理」と
きっぱり言われました。
きっとこの言葉を言われた後から主人に対して
愛されているという感情を封じ込めてしまった気がします。
結婚前に「お前の人生ひっくるめて(私の事すべて話した後)
大事にする」と言ってくれた事があったから余計に
不信感が大きいです。
みなさん、レスありがとうございます。
読んでて涙が出ました。
自分でも分かってるんです。
自分の欲求だけで相手の気持ちや我慢してる部分はそっちのけ。
相手に変わってほしいなら自分が変わらなきゃダメって
いうのも分かっています。
でも、頑張ろうって思うといつのまにか空回りして
悪いほうへ悪いほうへいってしまいます。
愛し方も愛され方も知らない。
いつか保育士の人に言われました。
「子供は自分の育ってきたようにしか育てられない」と。
子供に怒鳴った後、この言葉が頭に浮かびます。
自分のような思いはと強く思っていて
この言葉が頭に浮かぶと自分の人生を恨みます。
子供が意味もなく暴れたりするのを見ると
私が怒ってばかりだと自分を責めます。
子供が子供を産んで、まだ母になりきれていない。
ママは子供と同い年、一緒に成長すればいいって聞きます。
でも私は子供を産む前と何にも変わってない。
子供はどんどん成長しています。
まだ母にも妻にもなれずに責任もなにもない頃の自分から
抜け出せずに主人にも子供にも甘えているどうしょうもない
自分です。
まず自分を悲劇のヒロインではなく優しい旦那、かわいい子供が
いて人並みに生活が出来ている事を幸せと思う事にします。
私より辛い人生を歩んできた方、歩んでいる方もいるでしょうし
元気に毎日を過ごせてるだけでも幸せですね。
みなさんのレスを読んで元気がでました。
私の気持ちに共感してくださった方、嬉しかったです。
ありがとうございました。
幼児期の家庭環境は基本的な思考パターンの
骨付けであるので、大人になってもその影響は非常に
大きいですよ。幼少期に健康的な愛情が受けられないと
大人になっても意識しない中で親を求めてしまいます。
心理学に興味があって色々本読んでますけど。
なので、16さんが言うように保護者的存在として
見ているというのは大いにありえると思います。
私もスレ主さんと同じような幼少期だったので
内面的に母性的、父性的な愛を恋人や友達に求めていると
自覚があります。
これはどうにもならないと思います。
スレ主さんにとって旦那さんって、一緒に人生を頑張っていくパートナーですか?
なんだか文面からは、パートナーではなく、自分の保護者であることを相手に求めているように感じてしまいました。
あー、私もスレ主さんと同じで小さい頃の愛情飢餓と
結婚してないけど付き合って3年、同棲2年目の彼と
セックスレス状態で凄いHが不満です。
2,3ヶ月に1回位で いつもだいたい自分ばっかから誘う。
でも、それ以外は凄く良い人で責任感も思いやりもあって
私は働いてないけど食べさせてもらってる。
友達からもメッチャ羨ましがられる。
でも、Hの事で不満があるから 寂しさや愛されてるかどうかの
不安はある。スレ主さんとメチャメチャ似てる。
私は自分で悪いトコあるとは思うけど、ご飯もちゃんと毎日
作ってダイエットも毎日頑張って減ってきてて。
最低限の努力はしてて、それを相手も分かってるんだけど
何がいけないんだろう。元々性欲が薄く
身体よりも気持ちの繋がりを求める人ではあるけど。
疲れてるとか言うけど、同棲したばっかの時は
毎日のようにしててだんだん少なくなった。
そう思うと、居て当たり前だから求めなくなったのかなと思う。
No.13 はキモ男?
あんたのコピペ超ウザイ。
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。
パーティー四人の名前がこうなっていた。
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」
…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
スレ主さんの気持ち、ちょっとわかるな。
私は子供はいないけど、結婚して2年になります。
結婚すると家族・身内になる訳で、妻でもあるけど男性にとっては
母にも近い存在というか・・・恋人の時とは違うよね。
不安な気持ちを相手に訴えても、男性と女性は結構根本的に考え方が違ったりして、相手には意外と理解できてなかったりするので、
不発に終わってしまうかも。
愛情が少なく育つと、相手に対して依存度が高いって何かで読んだけど、
それはこの先誰と家庭をもつにしても、自分で乗り越えなくてはならないもんだよ。
スレ主さんは今は子育てもあるし、ちょっと気持ちに余裕がないんじゃないかな?
趣味を・・・というのは難しいと思うけど、あまり思いつめず、何か違う事に
目を向けてみるのもいいと思います(^^)無理しないでね!
最近、ある場所で聞こえてきた話です。
離婚した男性が離婚の理由を話していました。
妻だった人は子供が出来ても自分をかまってほしかったらしい、
自分は子供の前でいちゃいちゃすることが出来なかったと
話していました。
子供さんを数時間でも預かってくれる人がいれば、
月に1回でも夫婦だけで食事にでも出かけられるといいですね。
24歳といえば若いし、独身時代の恋人同士に戻った気分で。
たとえセックスを相手から求められても、
わんこさんはそれですべてに安心できるわけではないでしょう?
幸せについて考え始めると、
マイナスに抜け出せなくなってしまうことは私も
経験から知っています。
優しい夫がいて、かわいい子供がいて、
わんこさんはきっと、幸せなんですよ。
心の穴を埋めてくれる人は、ほかの幸せを壊す人ですよ。
私も2人の小さな子がいます。夫も仕事が忙しいなか、育児、家事をすすんで手伝ってくれているので私は恵まれていると思います。妻への「愛情」があるからこそ出来るのだと思いますよ。
過去に辛い体験をされたので、きっとまた愛情を失うのが不安なのだと思います。それで愛情を確かめなきゃいられないんだと思います。その確かめる行為がセックスになっているのかと。
でも、家庭を持つと愛情の形も変わる人もいるのだし、今の貴方の旦那様はちゃんと貴方に愛情を注いでくれているように感じますよ。いろいろ悪いほうへ考えすぎずに、もっと素直に単純な心で今の幸せを喜んでみてください。
8さんへ
7です。私はスレ主さんに、過去のトラウマからきてる悩みや不安もあるのだろうとは言いましたが、それを旦那さんに押し付けて、旦那さんになんとかしてもらいましょうとは言っておりません。
あくまでも、そのトラウマはスレ主さんのことですし、もう大人なのですから、自分で割り切ったり解決していく良い方法が見つかればいいなと思っているだけです。
もちろん、スレ主さんの旦那さんがスレ主さんの不安も理解してくれたら、それはとても幸せなことだと思いますが、今の旦那さんは旦那さんなりに愛情を持って接しておられるように感じますので、だからこそ、相手に求めるだけでなく、自分で今持っているものの中から幸せを感じてゆけるような癖をつけたら良いのではないかなと思い、カキコしました。
スレ主さんに過去のトラウマがあろうと、それは夫には関係ない。
トラウマがあるからって、夫に気持ちを押しつけて重荷を背負わせる権利はない。
もし私がスレ主さんの夫だったら、うっとおしくなって逃げ出しちゃいそう。
それか他の女に安らぎを求めるかも。
スレ主さんへ
確かにスレ主さんは人より依存心が強いのかもしれません。
でもそれは、きっとスレ主さんの小さい頃のトラウマがあって、人を信じたい反面、信じきれず、でも手を離されてしまったら自分のいる価値がわからなくなって不安を感じてしまうのでしょうね。
それに親になったからとはいえ、女性であることにも変わりはないので、旦那さんから女性として見てほしい、求められたいという気持ちもわかります。
私は夫婦になったことがないので、結婚後の夫婦(男女)がどう変わってゆくものなのかは、残念ながらわからないのでアドバイスなどできないのですが、スレ主さんの感じていることはなんとなくわかります。
ただ、他の皆さんもおっしゃっているように求めるばかりだと、旦那さんも辛くなるでしょうし、何よりあなた自身が辛くなると思います。
ご自分でも気づいていらっしゃるように、自分の愛情が重すぎて、相手を疲れさせてしまう・・と感じているわけですから、何か夢中になれることを見つけたり、身近で楽しめることを見つけて没頭してみたりして、旦那さんから求める愛情について、少し考えるのをやめてみるのもいいかもしれません。
別の人が現れたらそっちへ行くというような、人から人へ・・となるのではなく。
幸せは相手から感じさせてもらうのは、まれです。
自分で幸せを感じるしかないです。今、あるものの中から。
ありきたりでごめんなさいね。
またお話しましょう。
私も二人の子供がいます。
主人とは長いつきあいで今ではすっかり家族です。
とても平凡な毎日ですが日々幸せだと思っています。
満たされすぎて今の幸せが見えなくなっているって事ないですか?
失ってから気が付いても遅いですよ。
ただ 要求するだけですか!?
相手に自分がして欲しい事、それをあなたは出来ました?
案外 愛情を注いで欲しいのは 旦那様だと。
重たすぎるようであれば、やさしく見守ってあげることも
愛情なのですよ
その穴を埋めてくれる人は、まずいないと思います。
まして二人の子供も含んで・・・・なんて受け止めてくれる人なんてそうそうはいないし、まして自分だけに愛情が欲しいということは、『自分が子供に愛情をあげるからあなたはわたしだけをみて』ってことですか?
子供がいれば、これが普通だと思いますけど?
自分の感情だけでなく、二人の母親なんだから、こどもがある程度大きくなるまでは、しょうがないと思うけど・・・・・?
下のないしょさんの言うとおり、逆はどうでしょうか?
誰かに愛されるのを待っているだけみたい。
自分が相手に対して何ができるか、ということは考えないんですか?
ちゃんと自分を磨く努力をしていますか?
「愛して愛して愛して!!」と相手に求めるばかりで自分は与えない人間は
そのうち相手にウンザリされて飽きられます。
なが!!
相当悩んでいるんですね・・・・
ただ結婚したことないのでアドバイスできないです。
幸せは待っててもこないですから自分で何かしなきゃということはいえます。