「神様」って、人によって色んな捕らえ方があるんじゃないですか?
ただ一つ言える事は、「宗教」は神様じゃないですよね・・。
「神様」って人間の弱さ、不安によって、
何かにすがりたい一心で、太古から作り上げられた
非現実的で、架空の存在ですよね?
たとえ、神様を信じて無くても
不安な時やピンチに陥った時、やっぱり
「神様~~!!」ってすがっちゃうし、
幽霊、霊魂などを信じてなくても、親・兄弟や、大切な人達
が死んでしまったら、お墓参りも供養もする。
それが人間じゃないですか?
私は、神様がいるとしたら、それは「自然」の事じゃないか
って思います。
無限の宇宙で地球を作り、川、海、緑などを作り、
生物を作った物。
それが神様だと思うんです。
宗教などの信仰は、人間の文化に近い物だと思います。
人間の心が作り出した物ですから。
だから、神社のお参りも一種の精神安定剤じゃないかって思います。
絵馬に「合格できますように」って書いても、
自分が勉強しなきゃ受からないですもんね。
試験に落ちた事を、「おさい銭が足りなかったから??」
じゃなく、自分の努力不足。って考えなくちゃいけないように、
「神様」は、あくまでも心の支えとして
自分自身だけの「心の神様」でいいんじゃないですか?
いないですよ。
宗教によって神様は違うわけで何人いるんだ?ってことです。
どの宗教の神様が本物なのか教えてもらいたいですね。
確かに科学では分からないことはあります。
だけど考えても何も進まないです。
少しでも努力した方が叶う可能性は高いです。
努力は大切だと思いますよ。
自分ではどうしようもないことをかなえて欲しい時、不安で何かにすがりたい時にする事が神頼みではないかと思います。
死ぬ日が決まっていて、その日がわからないから、私は悔いなく人生を楽しく生きたいと思います。人生を楽しくするにはやっぱり努力することも大切になってくると思います。
努力をしないよりもした方が自分の求めていた物、事に近づけると思います。
15さん、ソースは?
もし、死後の世界(幽霊)が架空なら
江原さんは詐欺だね。
神様も幽霊も天国も地獄も・・・
そして天使や妖精、宇宙人も存在すると信じたい
何かその方がなんか夢がある。
毎日信仰している人は別ですが、困った時だけ神だのみって言うのは虫が良すぎる気がします。
やはり自分が報われるのは自分の努力のみ。
生まれつきお金持ちで恵まれていても不幸になる人はなる。
貧乏でもその生活の中で幸せに生きることはできる。
他人に頼るな。という事ではないでしょうか。
少し話はそれますが、自分のことばかり考えてる人は結局不幸になっている気がします。
反対に周りに感謝して「ありがたい」と生きている人は自然と幸せのオーラが出ています。
あくまで私の周りの話ですが・・・。
何かで、聞いた話ですが、科学でも物理でもどんな分野も、すっごく賢い専門の学者が、突き詰めて突き詰めて行くと、最終的には、神がいるしか考えられないという結論に行き着くって聞きました。
で、もし神様がいるとしたら、何でも見ることは可能でも、人間は、自分が創造したんですから、私たちが考える覗き感覚はありえないでしょ
幽霊を見た人って…
普段と違う環境(心理状態・場所他)の時が多いですよね。
幽霊でも神様でも天国と地獄でも、
「有る」ことは証明できる可能性はありますが「無い」事を証明することは不可能ですね。
天国と地獄が有っても無くても知ってどうするんですか?
生きている今を大切にしたほうが良いですよ。
あと、みなさんにお聞きしたいんですが「尊厳死」や「自殺」についてはどうお考えですか?
自ら死を選ぶと地獄に落ちるんでしょうか?
(地獄がある場合)
「もし」生まれ変わりがあるとしたらその総量がおかしいですよね。
地球上には「質量保存の法則」があり増減はしません。
例えが悪いのですが…
「仮に」人は人にしか生まれ変わらないとしたら数百万年前の人は(こちらも仮に)数万人、現在は60億人の人口がいます。
残りの59億数千万人はどこからやってきたのでしょう?
他の生き物に生まれ変わるとしても同じ事です。
どこかに待機場みたいなものがあるのでしょうか?
ご先祖様…
守ってくれますか?どのようなエネルギー(動力)で守っていただけるのか疑問です。
>結局は死ぬんだから…
そうですよね。死んだ後に天国に行こうが地獄に行こうが生きている「今」が大切だと考えています。
天国と地獄、あるんでしょうか?
「死後の世界を見てきた人」と言う方もいますが…
やはり宗教の話になってしまいそうですね。
私が一番気になるのは神様なるものが存在するとすればやはり「覗き」をしているんでしょうか?
覗かれていたらちょっと嫌な気持ちになります(笑)
2ないしょです。
人生の選択は結局は「自分」がしてるんのだけれど、決めるときに、家族のことや、金銭的なこと、その他もろもろ自分以外の要素に配慮してしまって、決断することが多いので、「決められたレール感」が強いのだと思います。
自分だけのことを考えて決断してればもっと違った人生だったかも?と思うこともありますが、それでもやっぱり最後の決断は自分がするんですよね。
スレ違いだけど天国と地獄が本当に存在すのかどうかも知りたい。
人生が作られたものであろうとなかろうと、人生に意味があろうとなかろうと、結局は死ぬんだから努力は意味が無い。
…って言ってしまえばそれまでですよね。
どうせいつか死ぬにしても死ぬときに「あ~楽しい人生だったなぁ。よく頑張ったし、よく遊んだ。もう一回自分に生まれ変わってもいいかな」って思える人生を送りたいですよねぇ。
やっぱせっかく生まれたんだし、生きてる間に良い目見たいでしょ。
神様云々はいるっちゃーいるし、いないっちゃーいないって感じですよね。
神様はいないかもしれないけど、奇跡はあるしね。
地球生誕だって神の意思だか偶然もしくは必然の産物だか。。。
うちも仏教系なんですが…
子供のころからその勉強会みたいな会に行ってました。
家庭の中でも学校でも救って欲しい!と思うような環境で…(対象は障害物的な人)。なので手を合わせ、苦痛から開放されたくて強く願いましたが、実感できるほど改善することはありませんでした。まだまだ弱い立場の子供のころに願って叶った!って体験しなかった為、大人の今でもその宗教自体悪いとまでは思いませんが、付いていこう!とまでは思えなくて。いろいろ活動に誘われてもやる気がないので参加する気にもならず…。拘束されてる感覚しか(こんなんじゃだめなんだろうけど…。)
数年前、不注意でスクーターを盗まれて、奇跡的に2日後に兄が買い物のついでに探してて見つかりました。盗まれてからそれまで手を合わせ本気で願ったので願い届いたのかな、天国の祖母が助け船出したのかな、とも思いましたが。
自分の努力が実って願い叶ったって場合はどうなのでしょうね、なにも頑張らず叶うこともあるかもしれないし…。
神様にお願いするより、ご先祖様にお願いした方がいい様な気もします。
神様を見た人は少ないが幽霊をみた事ある人はかなり多い。
って事は幽霊なら存在する???
だったらやっぱりご先祖様に見守ってもらった方がよくない?
私はどちらも信じますけどね。
だから初詣にも行くし。
神様なんて本当はいませんよね。人間が考えたものなので、
どんな神様かは宗教によって違います。
信じれば救われる、というのはたしかキリスト教。
仏教は、善行悪行によって、次に生まれ変わる人生が変わる。
でも、お坊さんになって修行しないと最終的には救われない。
日本の神様は、細かく願いを叶えてくれるのが多くて、
昔は安産とか合格祈願、交通安全があるんだから、ダイエット
なんてのもあるかも。
要は、神様が叶えてくれるわけじゃなくて、強く強く願えば、本人が行動するので、結果がでるってことじゃないかな。
私は神様はいないと思っています。けれどそれでは、地球にはどうして生き物がいるの?とか宇宙はどうしてあるの?とか死んだらどうなるんだろう?とか様々な疑問が浮かんできますよね。昔中学生のときの数学の先生がいっていたのですが、「宇宙の外にはもう一つの世界があるのではないか、そのもう一つの世界では私達みたいに普通に生活していて私達を観察していて、そこにいる人達のことを神、と呼ぶのではないか...」 その先生は面白い人で、授業の時間を割いてまでいつもこの話をしていました(笑) けれど、結局は本当に「神様」と呼ばれるものがいてもいなくても、私達は地道に生きていくしかないんですよね(^_^;)
2さん、3さん
さっそくのレスありがとうございます。
こちらでは「ないしょさん」推奨がいいと思います。
例えば神様がいるということになると
「神様!痩せさせてください!お願いします」
ということもあるでしょう(笑)
神様と言うのは何か見返りを求めているものなのか?
信じるものだけ救うのか?
信じないものには罰(ばち)をあたえるのか。
それにしても世界中はおろかこの日本の中だけでもたくさんの神様がいるみたいですね。
オウムのように殺人を犯すのはどうかと思いますが(教義の中で「ポア」というのがあって推奨していたらしい)迷惑がかからなければ悪いものでもないかなあと…
心のよりどころっていうのでしょうか?
それが恋人であれ神様であれ…
「決められたレールに」ついても引き続きお待ちしております。
この話題って微妙じゃないですか?
神様の話ってどうしても宗教のほうに走りがちな気が・・・
というのも、うちの旦那の実家はある宗教の信者なのですが、
うちの旦那は「オレはやらない」と中学時代に断ったそうです。
それ以来、「宗教、神様の話は世間話ではない」と
食卓での会話から絶対的にはずされたそうです。
まぁ、主さんのように明るく軽い話ならよいのかもしれませんがね。
でも、この先重くて、暗い話、宗教色の濃い話に発展しないという保障もありませんよね。
ネット上の議論ならいいのかな?