人として 大切なこと
他人の心や身体を傷つけないようにするとか、自分の身も守るとか、
人に不快な思いをさせない 迷惑をかけないとか、
そういう基本的なことをしっかり教えるのならば、自由に思うように育ててよろしいと思いますよ。
個人的に 表に感情をあらわすかあらわさないかで表現力が豊かかそうでないか
自己主張が出来るかどうかがわかるとは思えません。
表現力が豊かだと思われる方でも、物静かな方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
逆に元気いっぱいでも 大勢の前では自分の意見がいえない子も見かけます。
怒っている子には怒らないでという前に「どうしたの?何をしたいの?」と聞けば
気持ちを整理して冷静に相手に伝えることが自分の怒りの源を知り
解決の糸口を探るのに役立つことを知るでしょう。
悲しんで泣いている子には泣いている訳を察して「悲しかったんだね」と
悲しみを共有すれば少しは悲しさがやわらぎ、涙も乾くでしょう、
飛び跳ねている子には、危険が無いか周りをよく観察し安全だと判断できるなら
思う存分やらせればよいでしょう。
大きな声を出している子には 親が顔を見てしっかり反応して
穏やかに話をしてあげれば無駄に大きな声は出さない子が育つと思います。
余りある元気を発散したくて 大声を出しているなら
相応しい場所で一緒に歌でも歌えば良いでしょう。
そんな風に周りの人に気を配りながらも のびのびと子育てはできると思いますよ。
自分の思う通りに育ててみたらよいのではないでしょうか。
ただ、「回りに迷惑をかけない場合は」よい、かけるときはだめ、ということをうまく教えるのが難しいように思います。
たとえば、家でお皿を舐めちゃうような子は外でもやってしまうと思います。
家の中を走り回る子は、電車の中でも走り回ると思います。
TPOをしっかり教え込むことができ、公共の場ではマナーを守り、感情のコントロールができる子に育てられるのなら、迷惑がかからない場では自由にさせてよいと思います。
子供は親の影響だけで大きくなるわけではありません。
幼稚園や学校、友達や先生、いろいろな社会、人間関係の中で育ちます。
それに子供本人の生まれながらの個性というものもあります。
子供の将来はすべて親の育て方にかかっていると思うと重圧ですが、実際はそうでもないし、がんばったからといって思ったとおりになってくれるわけでもないので、あまり深刻に考えなくてもよいと思います。
あと、外国の親は子供の感情を自由に出させていると思っているようですが、そうでもないと思います。
ヨーロッパのほうが公共の場では、子供に厳しいです。
子供であろうと大人としてのマナーが身についていないのなら、即、追い出されます。
日本のほうが、酔っ払いや子供に寛容な社会だと思います。
「変」というのは 何と比べて変なのでしょうか?
一般的に一人の人間が社会で暮していく上で
少数派に属する場合
それは「変」だと評価されてしまいます。
私の子供は「軽度の障害」という「個性」を持っております。
一般の人に比べて、
こだわりを持っていたり、
冗談で済むようなことも、大真面目に受け取ってしまうので
周りの人に 笑われることも多いです。
これをこの子の個性として見た場合
こだわりをもつということは、決めたことを貫き通すという面でもありますし
人のいうことをまじめに捉える事も、悪いことではありません
しかし、親が好ましく思うからといって
そのまま その個性を伸ばしてあげていったら、
どうなることでしょう、
いわゆる変な子育てをされた変な人間の出来上がり・・・?
社会へ出た時、冗談の通じないヤツ 融通のきかないヤツという
レッテルを貼られるのは間違いないでしょう。
もし、世の中が同じ様な特性を持った人たちばかりならば、
変わり者であるのは 私たちの方になりますが、
そのようなことはありませんからね、
まあ、私が変な子育てを続けて行って
途中で「コレは失敗だった」と、思いなおした場合でも
普通の子であれば・・・そこから矯正していくことも可能でしょうが
こういった個性を生まれ持ってきた子は
親がどのように努力しても そういう特性は強く出てしまうものなのです。
そしてそれは、私にとって非常に怖いことでもあります
変なヤツと疎まれ、一生を孤独に暮らしていくことになったら・・・
それこそ親としては心配で死んでも死にきれないと
思うことでしょう。
ですから、普通の親御さんよりも
「普通に」と 【努めてやんわりと】ですが繰り返し教えています。
それは 何よりも
社会に出てから 我が子がより生き易くする為にほかならないのです。
あなたの様な
自由な子育ての発想が出来る方は、
幸せそうでとても羨ましいです。
どうか、お子さんがただの我が儘にならぬよう・・・
私の子供のような障害のあるような人間にも優しく【忍耐強く】
接してくれる人間を育ててくださるよう願いたいです。
これは、お育てになるご両親の価値観の問題でしょう。
とやかく伝えることは、”どなたであっても”ナンセンスなことだと考えます。
ですから、受け流して頂いて構いません。
その上で、「耳を傾けたかったら、傾けてみて下さい。
どちらにして頂いても、私は結構です。」
という立場のもと、お話をさせて頂きます。
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簡単に表現するとすれば、
「アメリカ人と日本人の相違点。」ということでしょうか。
感じたことをそのまま表現されることに長けた、
表面上、喜怒哀楽の波の大きい、アメリカ人。
感じたことをそのまま表現せず、心の中で1度解釈を分析したのち、
そつなく控え目に映る表現で周囲との協調性を考えていく、
喜怒哀楽を「表に出すことを、あまり美しいと感じない」、
はたから見れば、喜怒哀楽の波の緩やかな、「日本人」。
”あなた(ご両親)は、はたして、どちらをより美しいと感じますか?”
ということが、質問に対する、本件の”答え”になるでしょう。
アメリカ人の人間が、
「日本人は頭がいい。」と仰っているのをよく耳にしますが、
”私から言わせてみれば”、
「あなた方の”物事の考え方”が浅いだけで、
日本人は皆、日本人のことを、普通だと思っています。
そして、アメリカ人よりも、
物事を深く考えられているであろう自分たちの事を、
誇りに思っています。」ということでしょう。
(これは、あくまで、私の見解です。
ご批判等々、もし宜しかったら、して頂いても構いませんが、
あくまで、一個人としての見解です。差別しているわけではありません。
アメリカ人にはアメリカ人の長所、短所がありますから、
それは日本人に対しても、同じことです。)
アメリカ人の長所は、
日本人にはない、自己主張する能力に長けています。
日本人は、アメリカ人ほど、自己主張することが出来ないでしょう。
(”私は”、”勘違いされ続けている自分に気が付くことが出来ない、
誤まった自己主張を、本物の自己主張とは考えていません。
発言ぜずとも、行動で表せられる自己主張もあります。
パフォーマンス、見せかけだけの自己主張を
美しいと感じることはありません。)
もし、アメリカ人の内面を、日本人に入れ替えることが出来たなら、
その人間は周囲から「なんだ、あのオーバーリアクションの人間は。
周囲との輪を考えない、ただの目立ちたがり屋。わがままなだけ。」
そう映ってしまう可能性が極めて高くあることは、
容易に想像出来てしまうところではないでしょうか。
(例:押尾学など、
海外で幼少期を過ごした”一部の人間”は、
勘違いをされている人間が多い。
(すべてとは言っていません。)
しかし、彼がもしアメリカ人なら、
あの勘違いさも普通のアメリカ人でしょう。(薬は除く))
アメリカ人は、アメリカ人だからこそ、許されるのです。
アメリカ人の対応を日本人が行ったなら、
周囲から叩かれてしまうことは、明白、明らかでしょう。
国にはそれぞれ”文化”というものがありますから、
在住する文化に対応しなければ、
”ただの浮いた人”になります。当たり前です。
あなた(主さんをはじめ、これを読まれている人)が、
日本在住なのであれば、
日本に適用される文化を継承された子育てをしなければ、
お子さんが、将来、周囲に叩かれる可能性が生まれる、
ということを、頭の片隅に置いておく必要があるでしょう。
日本人であるならば、日本で暮らしていくのであれば、
日本独自の文化、風習にならった人間を育成していくことが
重要なこととなっていく、という価値観を認識しておいた方が、
逆風は少ないことでしょう。
(あなた(ご両親)ではなく、お子さんが、
逆風に打ち勝っていく自信、逆風をうけるということは、それだけ
心が屈折したまま育ってしまう可能性があるということを理解された上で、
それでも尚、お子さんが打ち勝っていく自信が、
ご両親として、おありなのであれば、
その覚悟を持ってお育てになられることをお勧め致します。)