ダイエット日記.com: 掲示板

反日デモ 

更新日:2006年8月10日
 反日についてどう思いますか?皆さんの周りの中国人、韓国人はどのような方ですか?
  • ないしょ
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ノンノン 2006年6月21日 15:33

 これは前回の書き込みの補足なのですが、英資さんのご意見が私は正しい教育理念だ、と確かに思うのですが、それに反する教育方法、というのはどういうことか、ということが気になってくるのですね。
 「意味を見出す」ことを、対話を通じて確保するということの正反対は、対話を拒んで「意味を見出させなくする」ことだと思うのですね。私たちが錯誤に陥りやすいのは、「躾」とこうした「意味を見出す」という境界線を見誤ることですね。たとえば「お金ばかりが人生でない」という躾と、「マネーが大切(かもしれない)」という「意味を見出す」教育的対話の境界線の線引きは非常に難しいところがあります。躾というのは特に精神的な意味において、迷いがあってはならない、つまり対話拒否的なものであってもいいといえるところがあるといえます。しかし「意味を見出す」ということは、まさに迷いがあるからこそ、意味の確保ということが生まれてくるのだ、というふうに考えるべきだと思います。
 「悪い教育」つまりユートピアの反対のディストピアの世界の教育というのは、「これがユートピアなんだ」というふうに、「結論」すなわち「意味」を押し付けてしまう世界のことを言うのだ、と思うのですね。私はそれを、対話拒否的な日本の風土だけでなく、「躾」教育と「躾の後」教育を区別できない教育のあり方にある、というふうに思うのですね。私に言わせれば、戦前の皇国教育と戦後の平和教育は、結論=意味の押し付けということで、酷似している。戦前において国家が道徳を独占したことが、単に「平和国家」という、左翼イデオロギー信奉者が勝手に夢想したユートピア国家により道徳が独占されたに過ぎない、ということになってしまっています。これは国民教育が「躾」とうう迷いのないもの、という錯誤に陥っていることと同じだと思います。だから戦前の軍隊から戦後のいろんな体育会系組織において、「体罰」という、本来は幼年期において終わらなければならないものが頻発していて、しかもそれは意味を見出すことを拒むという精神教育を伴う形で行われている。いつまでたっても「躾」をしているのですね。体罰ということに対しては、それを基本的に忌み嫌うアメリカの軍隊や集団的組織が、多くの場合、日本のそれらより強固なのは、「躾の後の教育」という大人扱いをしているから、というふうに思えます。私は「厳しさ」ということでしたら、アメリカ的組織の方が、はるかに勝る何かをもっている、と思うのですね。
 ですから、英資さんの理念を現実的なものにするためには、いろんな前提を壊していかなければならない、と思うし、戦後の平和教育という「意味の押し付け」と体育会系的体罰に見られる「終わりのない躾」を同一なものとして観る視点が大切なのではないか、というふうに思うのですね。

ノンノン 2006年6月20日 10:05

私も英資さんの意見に全面的に同意できます。ただどうでしょう、それは「学ぶ」ということ一般について言えることであって(あるいは教育一般について)学校という場での学ぶ・教育ということですと、「意味を見出だす」というは、時として非常に結論的になってしまうので、より正確には「意味のあるなしを議論する」ことが大切だということ、つまり対話の確立が大切だ、と私は思うのですね。「意味を見出だすこと」に対しても意味がないかもしれない、というような範囲まで結論がありうるということにおける「対話」の確保ということです。これは決して詭弁ではなく、マネーとか技術の話にしても、それを追求しつくした人生や文明が、死や文明的衰亡からすれば無意味かもしれない、という視野までも確保することで、本当に意味が見出だせる、正確にいうと、「意味を見出だす」ことが、激しい、ドラマティックなものになると思います。学校の場での教育というのは家庭の場と違い、多かれ少なかれ集団的ですから、議論の幅、多面的価値観ということを前提に、「対話」という、意味のあるなしをまさぐる言論戦の場だ、というふうに考えた方がよい、と私は思います。

英資 2006年6月18日 23:22

現在も教育方法のあり方について悩んでいるならば
以下は僕の考え方ですが

学ぶということについて質問された際に

生徒さんにはこういう考え方もあるのですよって
一例として提示してあげてはいかがでしょうか。

学校や塾へはただ勉強を学びに行くのではなく、教え方を学び来ているのだと自覚すれば、ただ勉強しに行くと思うより有意義に時を過ごせるようになる。
大事な事は『意味を見出す』こと。それはちょうどお金と似ており、お金だって決められた一つの物としか交換できない(買えない)のであればただのクーポン券であるが、目に見えるいろいろなものと交換できる(買える)から自由度が高いと考えられるのである。(お金で買えるものは、あの手この手で向こうから宣伝してきてくれるので考える必要が無い場合が多い)

予備校のスーパー講師は勉強を教えてご飯を食べ、ベンツなどに乗っている。
もしその授業に参加するなら、理解しようとするだけでなく教え方を学ばない手は無い。
小中高と自分達はずっと勉強をしてきた。
そして、色々考えた末
大事な事は『意味を見出す』ことなのだと僕は考えるようになった。
小中高の勉強はあまり意味が無いと聞くことがある。
しかし、何か意味を見出せればそれは無駄ではなくなる。
ある意味、教え方に気を配っていればこの道○○年のベテランにだってなれるのだ。

意味を見出すこと、それは以外に評価される。
例えば新技術を開発したとき、人々はそこに意味を見出そうとする。
意味を見出せず、売りこむことができない(必要な努力を怠れば)
どんなに優れた技術だって評価されにくくなる。

意味を見出すこと。それは正当な評価をすること。

上の僕の書き込みは、自分の教育に対する方針なのです
常に教育のあり方が問われていますが、
今後どのような教育方針になったとしても、

学ぶ側にとって
きっと、そこに何があるのかを自分の言葉で見出すことが
大切なのではないかと思ったので
及ばずながら書かせていただきました。

これは社会に出てからも同じことだと思うのです。

テルミッドハンドのホームページより

ノンノン 2006年6月01日 20:01

 
 No125さんの話、とても参考になりました。
 紀元前の衛氏朝鮮は華僑国家ですが、高句麗は、ほぼ完全に中国文明から独立した古代朝鮮国家だと考えるべきだと思います。中国史の一部に位置づけるのは、とんでもない傲慢な歴史観だと思います。
 歴代中国王朝は、数百回にわたり、朝鮮半島に軍事侵攻しています。そのことが悪い、ということではなく、その侵略的侵攻の事実を、あるときは「歴史的根拠」にしたかと思えば、またあるときは「過去のことに過ぎない」ととぼけてみせたり、態度がコロコロ変わるということが、問題なのです。このこと自体が、中国人にとって、歴史というものが現実政治の利用操作対象に過ぎない、ということを証明しているといえます。
 先日も、とある博覧強記の日本人の骨董商さんと酒飲みながら話をして、毛沢東はバカだ、文化大革命で歴史遺産をあんなに破壊して、といっていましたが、こういう中国に詳しい方ほど、中国人と日本人が同一の歴史観をもっているという錯誤に、意外に陥っているのですね。毛沢東はまさに歴史的中国皇帝の典型的タイプであるからこそ、つまり毛沢東はバカどころか、恐ろしいくらいに「中国的に賢い」からこそ、歴史を破壊利用してまでも、現実政治に徹底していた、のですね。彼は農村を組織することが中国史の頂点に立てるキーワードだということを認識していたからこそ、マルクス主義の都市革命論を否定し農村に革命の根拠を置きました。そして曹操のような一見すると暴君型の指導者でも高く評価し、文治政治の典型を踏んだ文人指導者として、曹操のように、漢詩をはじめとするさまざまな芸術を嗜みました。その延長に、歴史軽視(歴史破壊)ということもあるのです。破壊するからこそ、歴史(王朝)の創始者たりえる、ということが、中国型君主の理屈です。古代初期の何度かの混乱時期を除けば、単一の王朝、つまり万世一系の王朝思想が定着しているわが国の君主論、支配者論とは天地ほどの違いがあるのですね。
 「歴史の利用」ということが、毛沢東の場合は歴史遺産への破壊に向いたのですが、現代中国政府の場合は、それは歴史観の勝手な操作、日本や南北朝鮮への侮辱という形で現れている、ということがいえると思います。日本的な意味では、中国人ほど歴史を大切にしない民族はいない、ということになるでしょう。そんな国と「共通の歴史認識」などもてるはずがありません。

Wu Shang[日本人です] 2006年5月28日 22:54

古い話 106 について。
中華人民共和国の中学歴史教科書(吉林大学制作)に、「中国固有の領土、帝国主義によって奪われた固有の領土」という内容の一項があります。添付の地図を見ると、ロシア領の沿海洲(ウラジオストックを含む地域)、朝鮮半島全域、奄美大島以南の旧琉球王国、台湾島、中部ベトナムまでが、将来、回復さるべき固有の領土となっています。以前、南北統一後のベトナムに対し、北京は「懲罰を与える」として国境を越えて中国人民解放軍を侵入させたことがありました。
中国の「正しい歴史観」の実態です。中国では、義務教育として、このような領土感覚を身につけさせるわけです。
また、最近、中華人民共和国と韓国・北朝鮮との間で、古代の「高句麗」国を巡る歴史紛争が生じています。
「高句麗」とは、満州東北部から北朝鮮一帯を領有していた古代王国で、日本にある「高麗=こま」姓は、この王一族の亡命者の子孫です。平城京建設特別大臣は高麗若光だったかな。
高句麗の首都は、前半は満州側にありましたが、後に平壌に移りました。この、満州側にあったことに着目すると、高句麗の歴史は中国史の一部分となります。古代中国の呉や越と同じです。高句麗が朝鮮史であるのなら、その高句麗を歴史の一部分とする中国史の一部分が朝鮮史ということになります。北京的には、正しい歴史観の見方に過ぎないのです。
これを、特に北朝鮮が反発しています。
沖縄について言えば、沖縄自身が北京の主張を裏付けることをやりました。日本の紙幣に使われている「守礼之門」の意味は、「琉球は中華帝国に対して、臣下としての礼儀を守っています」ということです。巷間、言われているような「琉球は礼儀正しい国」という単純なものではないのです。「中華帝国に対して」と限定されているのです。
歴史学者なら、中国史の専門家なら、多くの人が知っている事柄だと思いますが、皆さん、言いませんね。

ノンノン 2006年5月25日 18:32

No143の反うささんのおっしゃること、大変もっともだと思います。
それではお伺いしたいのですが、「平和」ということも私は立派な道徳だと思うのですが、こういうことも、教えてはいけない、ということになるのでしょうか。私は戦後教育はまさに国家が教育を独占してきた、と思えます。平和というのは非常に微妙なバランスによって成立してきたものである、ということを忘れさすような、非論理的な道徳教育が、私は存在してきたと思います。何も愛国心だけが「道徳」ではありません。それどころか、現在中国や戦前の皇国教育では、「世界平和」と「愛国心」が矛盾しないものとして教えられています(いました)要は、中国(あるいは大日本帝国)の主導の「平和」ならばいい、ということになるからですね。本来、国民の相対的に変動する規範の反映でなければならない「憲法」を不変的なお題目としてきたことも、私は「道徳」の独占であると考えています。ですから、戦後教育こそが、反うささんの批判の対象であるべきでしょう。「社会を批判する目を養う」ということは、非常に難しいですが、要はすべてに批判的になることで、国家や道徳の根拠を疑う、ということですが、平和や民主主義についても疑わなければなりません。ナチズムや共産主義が「民主主義」の派生で生まれてきたということからしても民主主義は疑いえます。そういう批判的視点を養うことで、現代中国が平然と行っているような、おぞましい「国家による道徳の独占」教育に日本が陥らないようにする、ということでしたら、私は大賛成です。

英資 2006年5月25日 12:22

火星人様の書き込みに対する私の解釈は

今、教育現場で活躍する人々の見方の一つとして、
学校が崩壊している以前に家庭が崩壊している事情が大きな話題となっている。

たとえば離婚家庭が昔に比べてびっくりするほど増え。
はっきりいって親の資格がどうみてもない人も増えてきている。
それなのに、子供の教育に対して教育現場は衰退したと叫ばれ、
教育現場は信用できないから、家庭と学校の連携をすべきだとしきりに言われてしまう。

そのため、『これは、従来までの一般家庭の子供達の心理にも悪影響を及ぼすのではないか。』
という仮説が頭の片隅に漠然と存在してしまっている。

何故なら、客観的に考えて教育の現場より、現時点で家庭の方の問題を、なんとかすべきだろうと思える親からも「親としての立場から」ごちゃごちゃ言われてしまうからであり、
そういった親に限って、
『合っているようで、本来の言葉の意味から外れた訳の分からない理論』
を教育現場に持ち込んでくるからだ。
(もちろん、それが正しい理論であったり、常識をもたれた親も多いけどけれど)
これに対し、教育現場や国家は、いちおう親からの進言であるため
そういった間違った進言にも無視ができず困っている。

教員達はそういったニュータイプに『親の勝手な都合』目線から
教育論を語られるので教育現場や国家はどのように子供に教えていけばいいのか困っている。

そういうことなのでしょうか。

反うさ 2006年5月25日 10:10

教育に対する悲憤慷慨は、あなたがたの教育に対する過大評価の裏返しです。真の教育とは言うまでもなく知識のつめこみではありません。論理的・客観的に自分で考える力を身につけることこそが、教育の最終的な目的です。あなた方は、自分と同じようなものの見方・考え方をしない人間を見ると、すぐに教育のせいにする。統一された知識を詰め込むことで、自己との同一化=国民統合を図ろうとするわけです。社会批判をしているおつもりなのかもしれませんが、そうした社会批判によって結局はあなたがたが批判する社会そのものを肯定し固定化されていることにもう少し自覚的であるべきだと思います。
今は中央官庁でエリート官僚として働いている私の友人は、公立学校で道徳教育を行い、塾などの民間教育機関でいわゆる主要科目のお勉強をさせる、という分業関係を作るべきだと言っていました。これは恐ろしいことです。国家が道徳を独占することがあっていいのでしょうか。愛国心が仮に奨励されるべき道徳だとして公立学校で教えられれば、それは教師が自分の愛すべき美点を生徒に向かってしゃべりたてるのと同じような滑稽な戯画になるでしょう。また、塾に子供を通わせている家庭の多くが高所得者層であることからも分かる通り、現在教育を通して格差の拡大再生産が進行しています。こうした教育機会の格差による子供の「差別化」を覆い隠すために、愛国心教育がさかんに叫ばれているように思われてならないのです。
教育を国民統合の道具にしてはいけません。社会批判の目を養うためにこそ、教育は必要なのではないでしょうか。

英資 2006年5月21日 16:36

うさねこ様こんにちわ、皆様始めまして
現在は、教育の未来への不安 についてですね。
(間違ってたらごめんなさい)

季栖倉夢舞 2006年5月09日 17:10

ダイエットが主ですか?

ないしょ 2006年5月09日 12:24 anf4M4pvTc3XQ

自分の意見が合わない人を勝手に無知とかいう人って
何か信用できない。
靖国とかいう以前に日常生活でもそんな人なのかな
って思ってしまう。

ないしょ 2006年5月09日 8:31 anaiabs69ouQ6

私も、そう思います。そんな事で改善する訳ないです。

ミモザ 2006年5月09日 1:38

靖国参拝を廃止すれば日中関係が改善されるなんて、そんなことを堂々と言う人達の無知さに呆れる。

ないしょ 2006年5月05日 4:54 anZzDy9i6M6D.

うさねこさん いつもありがとうございます。
次回も楽しみにしています。

火星人 2005年7月15日 17:56

いつもたいへんお世話になっております。
またしても非常に勉強になりました。古代史の問題、私もさしたる考えもなく、邪馬台国のことや古代の天皇のこと、重要なことだと思って漠然と追いかけておりました。
あまり意味のないことだったのですね。
うさねこさんの文章をコピーさせていただいている、といいましたが、社会科の教師(後輩)だけでなく国語の教師も、うさねこさんの文章に大変独特のものがある、といっています。何だか私の学校全体が、うさねこさんについて研究しているみたいになってしまっています。
中学校生徒ですからちょっとレベルが難しくて実現できないかも知れませんが、夏休みの自由研究に使ってもよい、という教師もいました。
ただ前回の質問の二番目は非常に難しく、手を煩わせてしまうかも知れません。「親日」の問題の後のこと、私たちの不安感、ということです。「未来への不安」ということ、ともいえますが、これだけははっきりいっておきたいのですが、この不安感、私たちの世代でも初めて感じたもので、現代に特有なものだと思うのです。
「自由研究に使いたい」といいながら、実はうさねこさんに宿題ばかり出しているみたいですね。申し訳ありません(苦笑)お暇なときに、第二の点について、論じてくださることを期待しております。

どろんここぶた 2005年6月10日 21:32

うさねこさん、迅速なレスありがとうございます。
なるほど、アフリカ諸国の対日感情についてはあまり悲観的にならなくてもよさそうですね。

また小泉首相は来年度予算案での政府開発援助(ODA)の扱いについて「無駄、不必要なものがないか厳しく見直す必要がある。」との発言。中国が横流ししている分を直接投資に切り替える、という意味なら大歓迎です。
それから日本の常任理事国入りについてアメリカが急に賛成へ転換したようです。なんでしょうか?牛肉輸入再開について確かな言質でも得たのでしょうかねぇ?(笑) 既得権益を守る心理は理解できますが、そもそも国連は世界平和の実現を目的にした組織です。拒否権の存在が今までどれだけ世界平和の阻害に悪用されてきたかを鑑みれば、拒否権の存在自体を検討しなければ「国連改革」とやらもあまり有意義なものにならないでしょう。そこで例えば、拒否権を発動されても国連総会であらためて三分の二以上の特別多数(通常は多数決だが)による再議決が出来るようにするなど拒否権を相対化すれば常任理事国のエゴイズムを防止できると思うのですが、皆様いかがなもんでしょうか? 現実的に考えても常任理事国の一カ国でも反対したら国連決議が無に帰するというのは無理があると思います。
そもそも日本の常任理事国入り云々よりも、中国のような人権や経済における世界の劣等生的国家が常任理事国であることの不適切さが問題視されるべきですよねぇ…常任理事国として何かしら世界平和に貢献したという実績は皆無のような気がしますが…。

うさねこ 2005年6月10日 20:33

中国にしてみれば、アフリカというところは国際政治のパワーポリティックスからして「空白地域」にみえるのでしょう。ラテンアメリカや中東はアメリカが潜在的に支配しているし、東アジアや東南アジアは韓国を除けば急激にあるいは次第に親日化しつつあります。残されたとところは南アジアで、南アジアの反インド勢力と提携するという路線を敷いていますが、南アジア全体からすれば、やはりインドの力をいうのは侮れないわけです。アメリカ、日本、インドといった大国の影響を歴史的にみててそれほど受けていない、その割には独立国が非常に多い国ということで、アフリカに触手を伸ばしているわけです。
そしてどろんここぶたさん、がいわれるように、アフリカのほとんどの国がヨーロッパに対しての独立抵抗の歴史をもっているために、ヨーロッパ各国の意見にもなかなか左右されない、そういう空白なところである、という認識だと思います。ですから中国はODA時代よりはるかに以前から、労働者派遣や中古電気機械の贈与をアフリカ各国に行っています。中国では知識人から一般国民にいたるまで「中国のアフリカ援助」ということは昔から自慢の一種であり、いわゆる現代の朝貢外交の実践、と考えているのではないかと思われます。
もちろん、どろんここぶたさん、がいわれるように、日本の対アフリカ経済支援の方が遥かに巨額です。そしてこれが重要なことなのですが、日本・ドイツ・イタリアといった旧枢軸国がアフリカと関わりが薄いがゆえに中国の反日政策に同調しやすい、ということは裏返せばもし同調した国があったとしても、せいぜいその程度の「反日」なわけなのです。中国お得意の「第二次世界大戦・善悪論」という、歴史認識とセットにした巧妙な経済支援ということは、アフリカ諸国に対してはなかなかできないわけです。ですから中国のアフリカ取り込み政策というのは、日本にとってそれほど悲観的に考える必要はないと思われます。中国にしてみればやはり歴史認識とセットに経済支援の恩を売りつけることのできるアジア諸国の方がやりやすいのです。しかしインドネシア首脳が先日「日本の総理の靖国公式参拝は当然のこと」と発言したことにあるように、アジア諸国はとっくに現代中国の正体を見抜いており、そして同時に日本はもはや軍事的に安全な国であるということも理解していて、多かれ少なかれ、雰囲気は日本寄りになっています。またアフリカ諸国がアジアと違い、中国文明そのものへの敬意にほとんど無関心であることも、歴史を利用した外交の得意な中国に潜在的に不利に働いていると思います。
しかしあらためて考えてみると、1960年以降のA・A諸国の連合の反欧米的勢力の集結というロマン主義は、いったどこにいってしまったのでしょうね。インドと中国の激しいいがみあいにみられるように、国民国家としての歴史が浅いことが逆にアジアやアフリカの国々において戦争が起こりやすい、という原因をつくることになってしまっています。もちろん独立は正しい道だったし、植民地時代以前も含めれば、国家自体の歴史はアジアもアフリカもヨーロッパよりも少なくとも同等かそれより古いといえます。しかし「国家自体の歴史」と「国民国家になってからの歴史」は全く違うものです。大切なことは国民国家になってからの時間と経験がどれだけのものか、ということなのですね。その意味において、アメリカは「歴史の古い国」中国は「歴史の浅い国」という、一見すると非常に奇妙な言い方が成立します。

どろんここぶた 2005年6月10日 19:26

中国のODA流用は日本の常任理事国入りとも密接な関連がありますよね。
というのも、中国からODA支援を受けているのは主にアフリカ諸国なのですが、中国政府はこの経済支援を外交カードにアフリカ諸国に対して日本の常任理事国入りに反対するよう猛烈なキャンペーンを繰り広げているからです。
世界で有数の(かつては世界一だったような気が…)ODA支援をし続ける日本ではありますが、その多くは東南アジア諸国に割り振られアフリカ諸国への援助は相対的に少なかったのですね。もっともODAは実質的には自国の旧植民地への経済援助という和解策的性格を多分に有しています。従ってアフリカ諸国への経済援助は主にヨーロッパ諸国が行っています。
この点、アフリカ諸国にとって中国はアフリカに植民地を持っていなかったのに経済援助に力を入れてくれる好感度の高い国ということになります。そして今回の安保理拡大案にはアフリカ諸国からは一国も入っていません。そのうえ安保理入りを目指す四カ国(日本、ドイツ、イタリア、ブラジル)のうち日本とブラジルはアフリカに植民地を持っていませんでした。そしてドイツ、イタリアもあまりアフリカ大陸に植民地を持っていませんでした(というかアフリカ侵略に遅れをとったドイツ、イタリアなどがアフリカの再分割を目論んだのが二度にわたる世界大戦の大きな伏線となったのでした)。これはアフリカ諸国にとって中国に同調する動機を大きく強めるものでありましょう。
しかし、とっくに承知のようにアフリカを実質的に援助しているのは本当のところ中国ではなく日本なわけです。中国は日本からのODA援助金を横流し的にアフリカ諸国にバラ撒いてきただけなのですから…。対中ODA援助の実態については中国国民だけでなく、アフリカ諸国の人たちにも是非とも知ってもらいたいものです。
また、このスレの趣旨から少しズレますが、日本政府は常任理事国入りすることの具体的メリットとそれを実現するために払う代償をもっと国民にしっかり説明するべきですよね。耳心地の好いスローガンばかりを先行させて国民からの支持をかろうじて引き留めている小泉首相のやり方にはかなり不安が持たれます。

うさねこ 2005年6月10日 17:36

尖閣諸島の領有権のことで日本と中国の間がずっともめていますね。例によって日本の中にも妥協すべきだ、という意見もあるようですが、その要求の背後で一貫しておこなわれている中国側の日本側への、或る本当に激しい領土的主張を理解している日本人がどれだけいるのか、ということが気にかかります。
それは沖縄県の領有権の主張です。中国は清朝・中華民国(現台湾)・中華人民共和国とずっと沖縄を自国の領土と主張しています。清朝は明治時代に何度も日本政府に沖縄の件に関して日本政府に「日本の領有状態」を厳重抗議してきました。中華民国(台湾)もずっと沖縄を中国の一部と考えてきたため、沖縄人への台湾のビザの発給は、いまでも「中流文化経済協会」という別組織が特別に行っています。そして傲慢な現政権の中華人民共和国政府がそれ以上の要求を考えているのは当然です。尖閣諸島の問題は沖縄問題の一種だと考えているからこそ、あれほど激しい主張を行うのですね。
さすがに「沖縄を中国に割譲するべきだ」という意見の持ち主は日本側にはいないと思いますが、いったいどういう根拠で、中国はそのような主張をしているのでしょうか。そこには沖縄が有している特殊な歴史的背景と、例によって中国が非常に得意とする「政治のための歴史の読みかえ、書きかえ」ということがあります。
沖縄は古来から豪族や小王国が乱立し、大陸(中国)や南九州(日本)から政治的にも文化的にも独立性を有していたのですが、1429年、尚巴志王が初めて統一王国(中山王国)を成立させました。
このころから明(中国)の皇帝の使節がよく沖縄にやってくるようになり、沖縄・琉球王国の方も中国に朝貢使節をおくり、王の交代などを報告するようになりました。ところが1609年薩摩藩の島津家が沖縄・琉球王国に侵攻して薩摩藩の一部とします。以後沖縄は日本の一部になっていくのですが、薩摩藩は非常にしたたかで、領有したあとも、一見すると沖縄が独立したように見せかけながら、領有を巧みに強化していったのです。薩摩藩は沖縄へ侵略と支配を通じ、非常な政治性を身につけ、それが明治の薩摩人の能力を形成するのですけれどね。
中国政府によれば「沖縄は昔は中国に朝貢していたのだから、私たちに領有権がある」という主張です。ここで一番注意しなければならないことは「朝貢」という言葉の意味ですね。「朝貢」というのは世界の中心である「中華皇帝」に、独立した中国周辺の王国が敬意を表するために手土産をもって訪問すること、を意味します。朝貢の際は自分の国の政変などを報告し、中華皇帝の政治的承認を得て、その承認を政治的に利用することなども行われます。歴代の中華皇帝に最も多くの朝貢を継続してきたのは朝鮮半島の歴代王国ですが、日本も邪馬台国や飛鳥時代など、国が成立した初期の段階は朝貢を行っていました。
ですから「朝貢」とは、ある種の中国中心の同盟外交関係、というべきものでしょう。「朝貢」が「領有権の根拠」になるというのは、とんでもない間違いです。だとしたら中国に朝貢した歴代の国はみんな中国の国の一部になってしまいますね。しかし以前いったように、現実の政治のために歴史を利用してよい、というのが中国の伝統的な歴史観なのであり、その傾向は現中国政権おいて極大に達しています。ここにまたしても歴史の書きかえと読みかえ、ということがあるわけなのです。
「朝貢=領土の一部」という主張が正しければ、朝鮮半島はもちろん、日本も中国の一部になってしまいます。まさかそこまでの主張を今後してくるとは思えませんが、沖縄に関しての主張は容易にひっこめることはないでしょう。そして繰り返しになりますが、尖閣諸島の問題というのは、実は沖縄問題の一つであるからと思っているからこそ、彼らはあれほど激しい主張を展開しているのです。
私としてはそれがゆえに尖閣諸島問題というのは、ロシアとの北方領土問題と同じくらい重要(妥協すべきでない)と思うのですが、いかがなものでしょうか。

うさねこ 2005年6月07日 0:59

インターネットだから当然といえば当然ですが、このサイトは中国からもアクセスできるのですね。ちょっと怖い気もしないではありませんが(笑)やはりインターネット文化というのはたいへん面白いですね。情報統制を最も重視する社会主義にとって、ほとんど致命的な打撃を受ける文化の形なのかもしれません。あと五十年早くインターネットが広まっていれば、毛沢東も政権を早々と失っていたかもしれません。過去の政治をSF的に空想しても仕方ないことですけれどね。
ライライさんのお気持ち、よくわかります。理解すればするほど好きになれない国、ですよね。しかも実際そちらにお住まいになっているのですから、「好きになれない」という言葉に重みがあります。私はよく「面白いけど好きになれない国」と中国のことをいつも言うのですけれどね。
反日感情を利用している、ということに関してですけれど、私はもっと深刻に考えています。どの国でも、国民国家・近代国家をたちあげるときに、歴史をいったんそこで清算して、「神話」をあらためて国民に植えつける、ということをします。たとえばフランスの場合、いろんな意味で人工的に再編成したフランス革命神話により、いまだに国民の団結がはかられれるようになっています。戦前日本ですと明治時代、日本の皇室の先祖伝説を強引に実体化し、万世一系の皇室神話を国民国家の中央にもってきたわけです。
しかしフランスや戦前日本などスムーズな例は稀で、たとえばドイツのように、第一次世界大戦の敗戦で彼らを支えていたゲルマン神話が萎えてチグハグしまったときに、ヒトラーが「反ユダヤ主義」という国民全体の「敵」を神話化することで国民国家の神話をもう一度つくりなおす、という悪質な手口の神話つくりというのもあったわけです。その国の神話が「敵の存在」に依存している、というのはよく考えると非常に情けないことなのですが、国民をより過激に団結させるためには非常に便利でもあります。国民が精神的にすぐに臨戦態勢化してくれるからですね。
中国の反日あるいは中国政府の反日政策というのは、そういうことではないかと思います。反日というのは中国の国是、というより、人工的に物語化されている神話だと思います。1949年に誕生した中華人民共和国は、国民国家・近代国家としての神話が不在でした。国共内戦という革命神話があるじゃないか、といわれるかもしれませんが、日本と中国が対戦したときの中国政府が国民党政権で、その国民党政権を退治するのが神話、というのはどうもおかしい。明治維新のときの日本が皇室神話を実体化したように、「中国四千年」を利用すればいいという思いつきも、四千年の中国史は断絶だらけで、どうも役に立ちそうにない。そこで彼らが考え出した神話、それこそが反日、ということになります。ほとんどヒトラーの反ユダヤ主義の思いつきと同根でなのですが、ユダヤ人だって確かに嫌われる理由はあるわけです。しかしその国の土台である神話の「敵役」にされるのは迷惑もいいところです。
反ユダヤ政策と反日を同根というのはいくらなんでも言い過ぎではないか、と思われるかもしれませんが、中国の教科書やジャーナリズムの反日宣伝は尋常なものでありません。劉傑さんや豊田有恒さんたちの著書によると、歴史のことで反日、ならともかく、日本の多くの企業が中国向けにわざと祖悪品を製造して売りつけている、日本が中国再侵略のために航空母艦の建造をいそいでいる、東京では中国人への悪口だらけで中国人は肩身の狭い思いに苦しんでいる、等、なんともすさまじいことが記されているとのです。ヒトラーのメチャメチャな内容の反ユダヤ演説を連想するに難くありません。つまり反日というのは、日本が中国を軍事的に侵略したという事実の客観的指摘でなく、中国が国民国家として存在するために必要な物語の体系そのもの、なのです。簡単に覆るはずはありません。日本側の中国へのODA努力への評価も、彼らの神話つくりの中では微々たる評価しかないのは当然で、高く評価したらその時点で神話がひっくりかえってしまいます。
サッカーの試合で反日を絶叫して日本人におそいかかる中国人のサポーターは、多くの意味で素直に、国民国家としての神話に従順な人たち、なのです。彼らは戦前の日本と現代の日本を全く同一視しています。彼らの全員が果たして実際身近に日本よりの被害者を有しているかというと、私はそんなことはないと思います。そして国民国家としての神話というのはある意味で建国そのものの神話より強いパワーをもち、それを転換する、ということは容易なことではないのです。それは日本が戦前の皇室神話を、戦後になって西洋デモクラシー上の君主に再転換するときによく味わされたことではないでしょうか。